反射炉とは?のその前に!反射炉が造られた歴史的背景を・・・

そもそも反射炉とは?

その前になぜ反射炉が造られたのか?歴史的背景を簡単に調べてみました!

時代は、1840年(天保11年)。ちなみにこの時代の出来事では勘定奉行・遠山景元(金四郎)を町奉行に任命とか七代目市川団十郎、河原崎座で勧進帳を初演なんてことが!

天保11年、列強諸国に対抗するため軍事力強化が大きな課題となった。その課題を受けて薩摩、佐賀などでは西洋の先進的技術導入が行われるようになった。

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幕府においても、江川英龍(ひでたつ)をはじめとする蘭学に通じた官僚たちによって近代的な軍事技術・制度の導入が始められた。

江川英龍とは、江川 英龍(えがわ ひでたつ)は、江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。通称の太郎左衛門(たろうざえもん)、号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られている。韮山では坦庵と書いて「たんなん」と読むことが多い。
洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させた。地方一代官であったが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たし、勘定奉行任命を目前に病死した。(wikipediaより引用)

江川英龍は、嘉永(かえい)6年(1853年)に反射炉と品川台場の建造責任者となる。責任者になる背景にペリー艦隊の来航があり幕府も海防体制の強化に取りかかる必然性があった。これが反射炉が造られた時代背景です。
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